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宮島張り子〈広島県〉
宮島で張り子を手がける田中さんは、40年にわたり試行錯誤と工夫を重ねてきました。木工職人の家に育ち、父の死をきっかけに張り子作りを始めましたが、当初は材料に苦労したそうです。起き上がりの中に入れる重りとして最初に使用していた鉛には、原爆ドーム付近で掘り出した水道管を利用したことも。重りには作業のしやすいセメントを採用したそうですが、その後も常に効率や品質を追求し続けました。紙も和紙だけでなく、強度や扱いやすさを重視しクラフト紙を試してみたりと、材料の研究に明け暮れながら宮島の風土に合った新しい玩具を創造してきました。
田中さんがこだわって追求しているのはおそらく、和紙や胡粉や「伝統」などではなく、ある色彩を宿している物質とそのための経済学。ここでいう「経済」とは、ギリシャ語を語源にもつeconomy本来の意味である「家庭の学問」、継続的再生産のための「やりくり」なのです。
さらに特筆すべきはその色彩表現。田中さんの色彩は独特で、多彩な組み合わせを展開し、観る人の感覚を揺さぶります。いまは熱帯魚、特にグッピーを飼育し、オリジナルの品種改良をしています。グッピーのオリジナル品種改良は、色彩を作りだすことであり、交配を繰り返しながら安定した継続可能な状態を見つけ出すことです。
胡粉の入手困難など伝統素材の衰退を実感しつつも、田中さんは「未知の世界を自分で作りたい」と語ります。そんな田中さんが夢のようにロマンを語るのは、観賞用の鯉を育てることについてでした。鯉の鮮烈な色彩や価値への憧れを胸に、日々の仕事を続けています。



